代表あいさつ

「心のこもった住まいの裏に、汗して働く想いを込めて」

弊社のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
株式会社八重働工務店 代表取締役の八重畑順一です。

私たちは創業以来、地元盛岡の気候に合った熟練の職人たちが作る、
「肩肘張らずにくつろげる住まい」を、ご提供させて頂いております。

昭和51年、大工だった私は「誰よりも汗して働く」という想いを「働」という文字に込め、八重働工務店を創業しました。その後の長い歴史の中でより良い住宅を追求するため、時代の変化と共に数々の試行錯誤を繰り返してきましたが、その中で辿り着いた一つの答えがあります。

それは時が経っても家族がふと帰りたくなる住まいを提供するためには、決して他人が見て羨む家ではなく、そこに住む家族が「肩肘張らずにくつろげる住まい」をご提供することが大切だということです。

家を建てようと思った時、
これからも家族を大切にしたい、ずっと幸せな家庭を築いていたいという想いを誰しも抱くと思います。
しかし、その想いが時には重圧になってしまい、家族の幸せという本来の目的を見失い、
他人から見て羨む家を思考してしまう事も少なくありません。

地元で数十年に渡り家づくりのお手伝いをしてきたからこそ、それが痛いほどよくわかります。

だからこそ、八重働工務店に興味を持って頂いた皆様にお伝えしたい事があります。
家を建てる前も、建てた後も、肩肘張らずにリラックスしてください。
肩肘張らずに素直な気持ちでこれからの生活を考えるからこそ、
新しい住まいが家族一人一人にとって、ふとした時に帰りたくなる大切な場所になります。

家は家族が幸せに暮らすためであり、思い出を育む場所です。
他人が羨む家ではなく、自分たちが肩肘張らずにくつろいで生活することが、
何よりの幸福につながると私たちは信じています。

新しい生活を、新しい家で始める、家族の大切な想い。

それをお手伝いする私たちの想いが、ずっと連鎖していく事を大切にしたい。
お客様の信頼を裏切る事は出来ないからこそ、お客様のために一生懸命仕事がしたい。

私たちはそんなお客様にとっての大切な「肩肘張らない住まい」を汗して働くをモットーに、
熟練の職人たちとお客様に最後まで寄り添うスタッフと一緒に、作り上げることをお約束します。

私たちの想いと取り組みが、このホームページを通じて少しでも伝われば幸いです。

ーーー僭越ながら私たちの家づくりの想いを、私の半生を振り返りながらまとめさせて頂きました。
少々お時間を取らせてしまうことになりますが、特に初めて弊社のホームページをご覧いただいた方には、ご一読いただきたい内容となっておりますので、どうぞ最後までお付き合いの程よろしくお願いいたします。

株式会社八重働工務店 代表取締役 八重畑順一

▼八重働工務店工務店の家づくりについてはこちら

八重畑順一物語「心のこもった住まいの裏に、汗して働く想いを込めて」

父の後ろ姿

良い家とはなんだろう?

そう考えた時、
いつも私はどうしてもそこで暮らす子ども達の姿が目に浮かびます。

いつまでも大切にしたいと思える、家に帰りたいと素直に思える大切な住まい。そういう住まいに暮らす家族は、子ども達も伸び伸び育ち、いつまでも親を大切にする人に育ってくれるだろう。

そう思うのは、私自身のこれまでの体験から来るものです。

今でこそ親には申し訳ないと思いますが、子どものころ自分の家は、貧しい生活をしていると思っていました。戦後間もないこともあり、家も小さければ、テレビも無い。

事実、我が家は、農地改革を期に土地を没収され、収入も減り、食べ物も、物も豊かではない小さな家で、細々と暮らしていたのです。当時どうしても自分の部屋が欲しかった私は、風呂敷を使って仕切りをつくり、その小さなスペースを「自分の部屋」として使用していました。

赤ん坊の頃の私 父・母と

より豊かな住環境を作りたいと思ったのは、
自分自身のこういった経験の影響が強いと思います。

お世辞にも私たち家族の家は、良い家とは言えませんでした。

しかし、良い家族ではありました。
私たち家族を養おうと、毎日遅くまで懸命に働く父とそれを支える母の存在があったからです。

そんな少年時代、私は自分の家の貧しさを、親への不満という形で表現する事しか出来ませんでした。

両親に罵声をあびせたこともあります。

今思い返しても両親に申し訳ないことをしたと思っていますが、多感な少年時代の私には、
そうやって親に不器用な自分のエネルギーをぶつけることしかできなかったのです。
若さゆえの反抗心の根っこには、「早く両親に楽をさせたい」という想いがずっとありました。
今私が家づくりの仕事を志している原点は、自分自身のこの体験があったからです。

「中学を卒業したら働きにでるよ」

高校卒業まで待てない、少年の頃すぐにでも働きに出たかった私は、両親にそう告げました。希望通り私は高校には行かずに、大工見習いとして師匠に弟子入りすることとなりました。

 

10代で一大決心、自分の家を建てよう!

 

今も昔も職人は「見て覚えろ」の世界ですので、
弟子を取る大工は寡黙で厳しい人が多いのですが、
私の大工の師匠は年齢も若く、どちらかと言えば飄々としていて、聞けばなんでも教えてくれる優しい人でした。

早く一人前になって両親に楽をさせてあげたいという想いを汲んでくれ、
早く一人前になれる様にと、自分の持てる様々な技術を教えてくれました。

それにこたえられる様、私も朝から晩まで懸命に働きました。

 

そして大工として数年の経験を積んだ19歳の日、
「自分の力で自分の家を建てる」と決心します。

師匠に相談すると、
「よし、じゃあ道具を貸してやるからそれで家を建ててみろ」と、
大工道具一式を弟子の私に貸してくれました。普通は弟子に道具を一式貸す師匠なんていません。

師匠にはとても感謝しています。

その後2年に渡り、なんとか念願の我が家を完成させました。
大きな達成感と同時に、大工として少し自信が付きました。

そしてより良い住まいを提供したいと強く思う、学びにもなりました。
同時に、家づくりは甘くないと身をもって痛感する出来事となりました。

 

寒くて当たり前、暑くて当たり前

 

「寒い・・・」

新しい家で生活を始めると、気が付くことが沢山ありました。
まずなにより寒くて、仕方がありませんでした。
自分なりになんとか家を暖かく出来ないかと、窓のサッシなどを工夫したりと、
色々実験しました。しかし何をやってもダメ。改良は何年か続きましたが、結局改善されませんでした。

今では当たり前になりましたが、夏は涼しくて冬は暖かい。
そういった住まいを作るための一つに、断熱というものがあります。
しかし私が初めての家を建てた頃の住宅業界は、まだまだ技術も工法も発展途上のため、その頃にはまだ断熱という概念すらありませんでした。

「そうか、家を建てた後に改良しようとしても、
 そもそも建てる時に壁とか窓とかちゃんと考えないと改善できないのか」

家を建てた後の生活をより良くするためには、建てる前の心構えや対策も大切。
家を建てて生活する中で、沢山の気づきがありました。
そういう意味でも、この体験は私にとってとても貴重な物でした。

「もっと暖かくて快適な良い家を建てられるようになって、独立するんだ」

そう決意してほどなく、私は会社を立ち上げました。

それが八重働工務店です。

一番の問題は私が話しをするのが苦手なこと

 

会社を立ち上げたのはよいものの、仕事がありません。
これまで良い家を建てたいという想いで技術を学んできましたが、営業はやったことがありません。
恥ずかしながら告白すると、私は当時も今も口下手です。

今でこそ人並み程度にはなれたのではと思っていますが・・・

人と話をする時、心の奥底でどこか緊張してしまうのは当時から変わりません。
しかし、独立したからには後に引けません。
口下手だから営業が出来ないと、嘆いても仕方が無いのです。

 会社を立ち上げて間もなく父が他界しました。
両親を楽にさせたいと思って働きに出たはずが、
「父に何も返せていない、良い思いもさせてあげられなかった」そんな後悔の念が強いこともあり、
毎日歯を食いしばって慣れない営業活動をしました。

「なんとかしなくては・・・」

しかし決意とは裏腹に、現実は考えていたほど甘くはありませんでした。

頑張りたいと思う気持ちはあっても、仕事を頂けない。
何度も心が折れそうになりました。

宴会で笛を奏でる父親

当時既に結婚しており、子どももいました。
食べて行くために、しばらくは他社が受注した家の工事だけを担当させて頂くことで、
なんとか食いつなぐことができました。子ども達もまだまだ幼く、とにかく食べていく事が最優先、必死でした。

「でも、これは自分がやりたいことじゃないよな・・・」

食べていく事は出来ても、自分自身のやりたいこととは違う。
葛藤がありました。

「30歳までには会社を軌道に乗せて、施工・設計・工事など全て任せてもらえる会社にしよう」

沢山の家を建てて、お金持ちになりたいとか、
そういうタイプではありませんでした。
良い家を建て、喜んで頂きたい。ただそれだけでした。

 

やっとお客様の期待に応えられる日が来た

 

そんなある日、八重働工務店にとって初めてのお客様と出会いました。
遠縁の知り合いの方の紹介で、平屋の家を建てたいと相談を頂いたのです。

話をすると、なんと私に家づくりを任せてくれることに!

初めてご依頼を頂いた八重働工務店のお客様。

「なんとしてでも満足させたい、
 この縁があって良かったと思っていただきたい!」

それから必死の毎日が始まりました。
当時私は車の免許を持っていませんでしたので、妻に頼んで現場まで送り迎えをしてもらい、当時乳飲み子だった息子をおぶりながら、大工仕事をしました。

思えば妻にはそうやって沢山助けてもらいました。建物が完成して、隅から隅までチェックして「よし!」と自分でも納得の行く仕事が出来たと思いました。

「ありがとうございます」

とお客様が喜んでくださる姿と、
「頼んで良かった」という言葉が、何より嬉しかったです。

「この先も、何か家のことで困ったことがあれば、いつでも連絡してください」
八重働工務店として、初めての家づくりのお手伝いをさせて頂いたこの出来事が、
「この仕事をずっと続けて行きたい」と思える、決定打となりました。

今も昔もそうですが、あまり器用に生きれるタイプではないんだと思います。

この時既に、会社を興して4年が経過していました。
しかし、時間がかかったからこそ、家づくりへの想いがより一層強くなったんだと思います。

あたたかい家をつくりたい

 

縁とは不思議なもので、一度ご縁が出来た後は、
その後何件かお仕事を頂くことが出来ました。

しかし、そうやって八重働工務店として家づくりをしていると、ある問題が起きたのです。

家の寒さの問題です。

当時は今の様に建築技術も発展しておらず、断熱についての考え方や技術などまだまだ、
確立されていませんでした。住宅寿命も内部結露の問題で25年と言われていたほどです。

「家族がずっと住む家が25年しか持たないなんて・・・」

そう感じると同時に、私の中で葛藤が生まれました。
「いくら見た目が良かったとしても、快適じゃなければ良い家にはならない」

自分自身が寒い家を建てたからよく知っていますし、
両親と共に過ごした家に不満を感じた過去があるからこそ、その想いは誰よりも強い。

「住む人の“快適”に、汗して働いて応えたい」

そんな想いを抱いたのと時を同じくして業界内で、様々な勉強会が始まった時期でした。
どこの住宅会社が建てる家も、寒さと暑さとの戦いだったのです。
そう考えれば、今の建築技術は当時に比べて大きく進化したんだと、振り返りながら改めて思います。

 

断熱工法との出会い

 

北海道には、厳しい寒さに耐えられる暖かい家を造る技術がある。

勉強会で話を聞いた後、確かめるべく仲間と一緒に北海道に出向きました。
戸建てが並んでいる住宅地で、外で洗濯物を干していた奥さんに声をかけました。

「住宅について勉強するために盛岡から来たのですが・・・
 ご自宅は住んでて快適ですか?」

知識と技術を覚えようと、私は必死でした。
私の問いかけに対してその方は「快適ですよ、冬でも暖かいし」と、
その方は当たり前の様に即答しました。

その姿を見て、「これは間違いない技術だ!」と確信を得ました。
そしてこの技術を盛岡に持ち帰ると決意したのです。

北海道で学んだ暖かい家づくりのノウハウは、
自分の思い描いていた理想にピッタリと合っていました。
外の外気の影響を受けない、快適な空間。

「よし、この技術を使って家づくりをしていこう!そうすれば快適な家を提供できる!」

息巻いて盛岡に帰り、早速実現に向けて着手をはじめました。
※このノウハウが、現在の八重働工務店が採用している「FP工法」という技術です。

またしても売れない!

 

しかし・・・全く売れませんでした。
ここでも私の営業下手が出てしまうのです。
技術は素晴らしいが、その素晴らしさの説明が出来ない。
なかには拙い説明ながら興味をもってくださる方もいましたが、

「う~ん・・・検討します」
という言葉が返ってくるだけ・・・

結局この工法を初めて採用して下さったお客様と出会うのに、2年もかかってしまいました。

家の中の快適さはもちろん、
娘さんがピアノ教室の先生ということもあり、防音面でもこの工法が力を発揮しました。

「お客様に喜んでいただけた」

自信が付きました。

そしてこの頃から、
「快適な住まいには、肩ひじ張らずにリラックスできることの大切さ」
に気づく出来事となったのです。

肩ひじ張らないくつろぎの住まい

住まいは人生で一番大きな買い物と言われますが、ただ単にお金の話だけではなく、
住まいには特別な価値があるものだと思います。

住まいは人の「幸せ不幸せ」に関わるものです。

私は「良い住まい・理想の暮らし」を考えた時、
どうしてもそこに住む子どもたちの姿がイメージに浮かびます。
自分にも子どもがいるからというのもありますが、
やはり自分の幼少期の経験が影響をしているのだと思います。

私は、後悔をしています。

それは、
あんなに一生懸命働いてくれていた父や母に対して、
幼い頃不満を爆発させていたこと。

良い所を見せられず、父が逝ってしまったこと。
その後悔が今なお私の中にあります。

子どもは、親に不満を言うものだと思います。

それは健全に成長している証拠でもあると思いますが、それが果たして良い家庭環境なのかと言われると、そうではない面も多いと思います。

私は親に沢山不満を言いました。
沢山親を責めました。

親戚一同と

だからこそ、
八重働工務店で家を建てるお客様には、
子どもも親もそれぞれを思いやって暮らして頂きたい

という想いがあります。

 

その為には、快適な環境が大切です。
快適であれば、
私の様に住まいが原因で親に不満を爆発させる事も少なくなります。

そのために大切な事は、
家族みんなが「肩肘張らずにくつろげる」ことです。

父親への想いがあります

子どもの暮らしばかり優先するのではなく、
親の都合ばかりを優先するのでもなく、
誰かが見て羨む家を考える事でもない。

家族みんなが快適にくつろげる。
あくまでもそこに暮らす家族が主人公の家。
そんな住まいをご提供したいのです。
そのためには、リラックスしてこれからの未来を描く事が大切です。
家族としっかりこれからの未来について、話すことも大切です。

家づくりは、家族の明るい未来をみんなで考えるための良い機会となります。

そういう心構えで新しい住まいを皆で考えるからこそ、
親も子どももふとした瞬間に「ウチに帰ろう」と思える、大切な場所になると思います。

住まいは、家族にとって原点でもあり出発点です。
住まいは単なる形あるモノではなく、
そこで生活する中で出来た思い出を育む場所です。
どんな家庭でも、
住まいにはそれぞれの思い出が刻まれます。

私は今もこれからも、
自分たちの家族がふとした時に
「ウチに帰ろう」と安心して帰れる住まいを作りたい。
そのお手伝いをしたい。
家族が幸せに暮らせることだけを考えて、家づくりをしたい。

そう思っています。

営業が出来ない私に仕事を依頼いただけたこと、支持してもらえたこと。
その後ご紹介を頂けたこと。

これまで八重働工務店を頼ってくださったお客様には、本当に感謝しています。

「お客様の信頼を裏切ることはできない、だから一生懸命やりたい」
そうやって汗して働くから、お客様が喜んでくださる。

これからも、
心のこもった住まいを汗して働きお役に立つことで皆様のお手伝いをさせて頂きます。
八重働工務店を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

心のこもった住まいの裏に、汗して働く想いを込めて
株式会社八重働工務店 代表取締役 八重畑順一